この記事は、前々記事「2010年7月11日のセブの素顔~その1」(http://henjinpooh.seesaa.net/article/156065069.html)の続きである
前記事「2010年7月11日のセブの素顔~その2」(http://henjinpooh.seesaa.net/article/156066410.html)の続きです。
ぜひ順番にお読みください。
日本むかし話以来見た事のないような道具を使っています。
でもこっちの人にとっては何の驚きでもないです。
技術が進んでも、それを利用する財力がなければ一緒です。
歩道橋の下には、
犬を売ってる人たちが。
確かに可愛い笑
こっちでは犬を買うときは、どっかの家で仔犬が産まれて引き取ってくるか、こういう道端の動物売りから買ってくる、というパターンのどっちかみたいです。
当然狂犬病の予防接種なんて自分が打つ余裕も犬に打たせる余裕もないし、去勢手術を受けさせることもできないから、道には野良犬がうろうろしてるし、狂犬病で死ぬ人も多くいるみたいです。
道で轢かれて死んでるのもよく見ます。
歩道橋に登れば
子どもが、しっかりとお金を入れてもらうコップだけは上に向けて握りしめて、寝ています。
歩道橋には屋根が付いているので、日差しや雨を避けるため、寝ている子どもは多いです。
おじさんは…誰?
さすがフィリピン、フルーツスタンドは至る所にあります。
ハンモック…。
写真を撮る時に、被写体になる人にいつも声をかけますが、
反応はいろいろです。
でも、撮るなという人はほとんど居ません。
興味本位で、撮られたい、という人も多いです。
ポーズをとっている人達はこういう人なことが多いですね。
そして、ちょっとためらっている顔をしている人は、
写真を撮った後に、金乞いをしてきます。
路上生活者にお金をあげることは、フィリピンの法律で禁止されています。
正直に言うと今日自分は何組かにはチップを渡してきました。
モデル料として、払っていいと思ったからです。
と言っても、コイン1枚程度です。
道で暮らしている人に、情でお金をあげて、彼らの生活が成り立っちゃって、
(成り立つ、とい表現自体おかしいですね、生き延びられて、という方が正しいかな)
働かなくても生きていける環境を作るのは正しくないとも思います。
「働かざる者食うべからず」
と言いますもんね。
ただ
「働けざる者」
がたくさんいるのもここです。
本来「働くべからぬ」子ども達が「働かねばならぬ」状態なのもここです。
社会の構造によって、「働くことのできない者」こそが本来救われるべきだと思います。
「働けるのに働いていない」というのはここではまた別の議論。
じゃあなんで金乞いの人たちはそんな生活をしているんですか?
↓
↓
じゃあ彼らに何の仕事ができるんですか?
教育も無い、身寄りもない、家もない、でも子供はいたりする。
ぐるぐる。
いまのフィリピンに、この矛盾にまみれた社会を改革する力は、正直ないんじゃないか、と思います。正直。
なぜなら、そのためにはまずフィリピンで生きている人が、「何を変えなくてはならないのか」に気づく必要があると思うからです。
教育を受けずに、それはできません。
「お上の人」は、庶民に現実を知ってほしくありません。
だから、NGOなんかが、どうにかしようと、フィリピン人に自分の力で問題を克服させる力をつけられるようにと、教育支援をしているのだと思います。
5ペソを払って写真を撮って、ブログに載せて、みんなに伝えて、
このブログを見た誰かが何かを感じて、
いつかこの人達に、この子たちに、大きな何かが返ってくるといいなぁ、とか思います。
セカンドチャンスの子ども達も、こんな環境を経験しているわけです。
運よく、市の社会福祉事業の対象になって衣食住を保証されて、
縁あって、今自分は彼らに音楽を教えて、NGOでは教育支援をしています。
もし、自分の人生の中で、ちょっとだけ割いても良い時間があれば、お金があれば、
ぜひ見に来てください。
その時から、世界は他人事から自分事に変わります。
一人でも多くの人が、一人でも多くの人の事を考えられる世界になったらいいなー。
皆さんの関心が、未完成な「今」の世界には、たぶん必要です。
NGOなんていらない「未来」の世界のためには。