昨日8月6日は、1945年広島に原爆が投下された日でしたね。
日本では平和記念式典の放送があったんだと思います。
毎年この季節には核廃絶の主張も声高に叫ばれ
平和への祈りと決意を各方面の団体、個人が新たにしますね。
例年とは少し違った心持でこの日を迎えた人も少なくなかったのではないかと思います。
そんな昨日という日、ベトナムにいた僕たちは
目を疑うような写真が無数に展示してありました。
第2次大戦後、冷戦中の代理戦争として北ベトナムと南ベトナムによって戦われたこの戦争。
開戦の定義がされておらず複合的な原因が絡んで勃発した戦争ですが、
泥沼化の様相を呈すまでに事態が深刻化したのはやはりアメリカによる
東南アジア諸国の社会主義へのドミノ現象に対する危惧が大きかったからなのでしょう。
何百万の人間を虐殺した上でようやくその正当性が保障されるイデオロギーってなんなんでしょうな。
政治イデオロギーも結局は経済的帝国主義の道具に過ぎないように思える。
ジャングルでのゲリラ戦には強くなかったアメリカは
大量の枯葉剤を撒き散らし
その人体への影響はおぞましいの一言。これが人間の業か。
守るべきものって何なのか、少なくても自分にとっての守るべきものくらい、
ちゃんと自分の五感と頭と心で考えなきゃなって、ほんとにそう思った。
もちろん事の始まりにはどちらか一方のみが戦争に踏み切る大義を持っていたわけでもなく
どちらか一方だけに開戦責任を負わせられるものではないんだろうけれども、それでも、
このアメリカによる人道的大罪を世界の人々の道徳心は許さなかった。
ここにも確かにソ連や中国、60~70年代の社会主義に傾倒した中南米諸国などイデオロギー対立の構図は見えてくるけれども、
驚くのは欧米やアジアの民主国家からもアメリカの野蛮な行為に大きな批判の高まりがあったこと。
これじゃドミノ理論も机上の空論だ。
この博物館、ほとんど全ての写真の説明文を読んで回ったけれど、
別にその書き方からはアメリカへの憎しみを感じるわけではなかった。
それよりも、ベトナムがこの悲劇を経験しているとき、
世界がいかにベトナムに手を差し伸べてくれたか
そこに大きな希望を込めた展示だったように思う。
ただでさえ被爆者は被爆体験を語ることを躊躇するのに
もう数十年すると、日本にも原爆の経験を語り継ぐことが出来る人がいなくなって。
たぶんこれまでの世界ってそういう繰り返しだったから、
「人類の歴史は戦争の歴史だ」
なんて調子の良い事いえちゃう。
でも、21世紀のこんなにも高度な文明を手にした人類が口にするには
情けなさ過ぎるんじゃないのか?そのフレーズ。
僕たちの意識の及ばない次元で、戦争を繰り返そうという思惑は確実に働いている。
語り継いで、知ることだけが、僕たちに出来る抵抗だと思う。
ベトナムにきたら是非訪問されたい場所でした。
はて、僕の守りたいものはなんだろう。
*蛇足
マックやスタバはベトナムでは全く見かけない。アメリカ側の躊躇なのか、ベトナムの抵抗なのか。