こんにちは!ヒデ(@Akihide7Noguchi)です。
少し前のことになりますが、10月25日、明治学院大学にお邪魔してきました。
同大学国際学部の半澤朝彦先生が主宰されている「明治学院大学コンサート・シリーズ」の中で、会場にお越しの皆さまへセブンスピリットの活動について紹介させていただいたのです。
このコンサート、半澤先生ご自身もチェリストとして演奏され、弦楽四重奏の素晴らしいアンサンブルを堪能させていただきました。
半澤先生は、「国際政治と音(楽)」というテーマでゼミを開講されているとのこと。
実はコンサート開演前、フィリピンでの活動に関心を持って下さっているゼミの学生さん(音楽と紛争解決をテーマに勉強されている)に声をかけていただき、色々とお話をしている中で本記事タイトルの議論に辿り着いたんです。
音楽を学んだ誰しもが「音楽は今の自分の糧になってる」と感じているはず。
小さい頃にヤマハ音楽教室に通い、高校で吹奏楽部に入り、その後オーケストラや吹奏楽の団体でちょこちょこと演奏をさせてもらう中で、やはり僕には「音楽から学んだことが、今の価値観や社会生活に何かと活かされている」という実感があります。
これは僕だけでなく、音楽(特にアンサンブル音楽)の経験がある人には共通していると思いますし、これはスポーツの経験のある人にも言えることではないでしょうか。
しかし、これが多くの人にとっては「音楽/スポーツの◯◯な経験が、▲▲な状況で活きている」とは言語化しにくい、主観的な体験。
きっとセブンスピリットだけでなく、子どもに対して音楽を教えている殆どの団体にとって、その教育的ゴールは「音楽」の一歩先にあり、それはつまり子ども達が将来、豊かな社会生活を送ることにほかなりません。
せっかく音楽という環境の中で得た学びを、積極的に社会生活の中で活かすことができないのは、勿体無いですよね。
具体的に言えば、僕のように吹奏楽を経験した人には当てはまる例だと思いますが、
「合奏中は指導者に大きな声で返事をして、しっかり話に耳を傾けることが出来る」のに、一歩“音楽”環境を離れると、公共マナーを守れなかったり、友達の輪の中で実践できなかったり。
音楽の学びを社会のために実践できる子どもを育てるのが、僕らの役割
まさにこのプロセス(=特定の環境で発揮できるようになったスキルをそれ以外の場所で実践できるようになること)を、ライフスキル教育の文脈では『般化』と呼ぶ、ということを、この夏休み、新潟県立大学の渋倉崇之先生が教えてくれました。
明治学院大学でのコンサートには、かつてこのブログで紹介したこともあるイスラエル・パレスチナの紛争をオーケストラの力で解決していくことを目指す、指揮者バレンボイムの率いる「ウエストイースタン・ディバンオーケストラ」に関わったことのあるバイオリニストの方もご出演されていてビックリ。
音楽の持つ社会変革の力に、これまで以上に期待が高まる今。
アンサンブルやオーケストラは、小さな社会。ここで得た学びを、しっかり日常生活でも実践できるように導くことも、音楽指導者の大切な役割ではない かと。『般化』のステップまでしっかりと見据えた教育プログラムを検討していくことが、これからの音楽の指導者には求められていくのかもしれません。
フィリピンの子ども達の抱える問題を、彼ら自身が適切に対処できるようになるため。周りの仲間達と足並みを揃えて前に進んでいけるようになるため。音楽の楽しさとともに、この手立てをしっかり考えられる教育をしていきたいと思います!