旅行に携行するミニPCからテストの意味を兼ねて投稿です。
衝動が湧き出てきて、それに素直にやりたいって思っても、
自分なりの形として発する、吐き出す方法を知らないとそれは出来ないんだ。
それが、魂を込めるという作業だと思う。
どこに力を入れればいいのか、どこでスピードを出せばいいのか。
自分の中に確立された方法がない限り、「込める」ことが出来ない。
自分らしさなんて生まれない。
今考えれば、ここまでの20余年というのはこの
“魂の込め方”
を習い、学び、固めるための年月だったように思う。
その機会は、幾多とあったね。
いまようやく師たちの僕に身に付けさせたかったことがわかる。
たとえば今、
書こうとしても書きたいものがかけないし
吹こうとしても吹きたいものがふけないし
歌おうとしても歌いたいものが歌えないし。
つまりそういうことだ。
もっともっと、衝動が芽生えたとき、自分の魂を吹き込められるように。
その方法をじっと学び続けたいと思う。
今年一番大切にしたいと思っていること。聴。
特に、傾聴。なかなか出来ることではない。
耳と目と心とを十分相手に傾ける。
全部聴き終わって、練らずに口から出た言葉だけが、自分なのではないかと思う。
「澄ます」感覚を大切に大切に。
本物に触れて、五感を肥やし続けたい。
魂の込め方を忘れてしまった時、偽りしか産むことは出来ない。
へたくそな字を晒して恥ずかしい、でももう鏡は見ないことにしたんだ。